初めまして
心理カウンセラーの
きょうこです
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➡旦那から嫌われてる/嫌ってる
➡旦那が浮気している
➡もう愛されていない/愛していない
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➡恋愛が難しい
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自己紹介
オーストラリア在住歴20数年の
心理カウンセラーです。
現在は新しいパートナー(イギリス生まれオーストラリア育ち)と婚約中です。
こんな幸せいっぱいの現在の私も、数年前の辛いでき事で
大きな学びを得ました。お恥ずかしながら、そこからお話したいと思います。
好きな父親の厳しい言葉から劣等感や自己肯定感の低い少女に成長
少し私の生い立ちをご紹介したいと思います。
私は大阪で生まれました。
私は幼稚園の頃から、自分の体形や容姿があまり好きではありませんでした。
特別太ってたわけでもない、でも、細い目や肉好きのいいい唇が不細工に見えていて
どこかで、自分は誰かより劣っているという思いがありました。
どちらかと言えば、私は物静か、恥ずかしがり屋でした。
ただ、運動は得意だったので、活発な印象はもたれていました。
私は父親が好きで、遊び相手をしてもらった時など、すごく嬉しかったのを覚えています。
ただ怒ると、とても怖かった。
うろ覚えですが、幼少期に
なにか悪さをした私に父親が怒って
私を家の中にあった柱に括りつけられた記憶が残っています。
そのあと、少しの間放置され、ぎゃんぎゃん泣いてたと思います。
怖かったし、悲しかった。
おそらく、この記憶から、怒られることへの恐怖心が芽生えてしまったのかなと思います。
父親は親としての躾と思ってしただけだと思います。
両親は、私が小学校3年生の時に居酒屋を始めます。
独立して居酒屋を経営する父親がとても自慢でした。友達にも自慢げに話したりしていました。
一緒に買いものに行ったり、毎週日曜日にピクニックやハイキング
または、たまに乗せてもらえてオートバイの後部席でのお出かけは
最高に嬉しい出来事でした。
でもちょくちょくある父親からの注意や叱責が少しずつ心に蓄積されていました。
小学校5年生のある日、私は父親に甘えた声で話していたら、
「5年生にもなって甘えた声で話すな!」と言われ結構ショックを受けました。
大きくなったら、甘えてはいけないんだということを自分の中に刷り込んでしまいました。
そして、叱られるたびに
「お前は自分勝手や」と言われ自然に、
『自分は悪い人間で、自分勝手になってはいけない』
『自分を出しては嫌われるという』
間違った認知の仕方をしてしまったすのもこの時期だと思います。
両親が絶対的な存在だと信じていた私は、彼らの言葉が
自分の価値観や自己イメージを形作るものになっていったようです。
その結果、それから、自分では気が付かないうちに
自己肯定感が低くなり、劣等感や自己卑下が
私の内面に根付いていったのだと思います。
「何か変わるかも」と期待して、高校生で新興宗教に入信
高校生2年生の時 私は部活で足を怪我して、
しばらく松葉づえ生活を余儀なくされていました。
ある日、普段の帰り道で
通りすがりのおばさまに「お祈りさせてくださいますか?」
と声をかけられ、承諾しとところ、彼女は私の額に手をかざし、
静かにお祈りをされました。ある宗教の方でした。
彼女が属していた宗教団体に少し興味を持ち、そのまま流れで入信してしまいましたが、
一年が経ち、ある理由からその団体とは縁を切ることになりました。
若気のいたりなのか、また別の宗教団体に足を踏み入れてしまいました。
その団体は後に世間を騒がせることになるけれど、
その時はまさか自分がそんな場所にいるとは夢にも思いませんでした。
家出までして、同じ信者たちと共同生活を送る中、
仕事中にふと「何をしているんだろう」と我に返る瞬間が起こり、
そのおかげで、家族をこれ以上心配させずに済みました。
その後もまだ学び足りなかったのか、職場の先輩に誘われて新たな宗教の世界へ。
しかし、この時はもう少し冷静に、一歩引いて状況を見ることができたように思います。
自分を変えたい、何かを変えたいという思いが、私をそうさせていたのかもしれません
何かが、誰かが「こんな嫌な自分を変えてくれる」ということを期待していたのだと思います。
「こんな自分が、、」元旦那との出会い結婚 出産
20代前半、私はオーストラリア人の元旦那と出会いました。
その前に、複数の外国人男性と関わりがありましたが、
自分を安売りしてしまっていて、常に自己嫌悪の念にとらわれ、
自分を責めていました。「こんな私は、だめや」
「誰も私を本気で好きになってくれることはない」
という感情に無意識に取り囲まれていました。
考えていたわけではありません。
無意識にそう感じながら生活していました。
その中で、オーストラリア人元旦那と出会い、他の外国人男性とは違う何かを感じ、
好きになり、お付き合いを始めました。
その後、オーストラリアに留学し、留学中に結婚しました。
そして、第一子の出産。
オーストラリアの生活の中で
私は無意識に彼に頼ろうとしていて、
当時の彼のやさしさに寄りかかっていました。
自己肯定感が低く、依存的な性格で、
自己卑下が強かったのです。
そして、英語が完璧でなかったため、ますます彼に頼っていました。
「いいお母さん」じゃない自分にイライラ
息子が生まれて2年半、私たちはオーストラリアで過ごしました。
その後、家族3人で日本へ移住しましたが、
日本での生活は思っていたものとは違いました。
彼の仕事は英会話教師の派遣会社で、収入はそこそこでいつもカツカツでした。
彼は一生懸命に働いていました。
私も働きたかったのですが、息子がまだ小さかったため、
専業主婦として家庭を守ることにしました。
そして、第二子も授かりました。
外から見れば、それなりに幸せな家族に見えたかもしれませんが、
自分の不自由な状況が嫌でした。
頑張って子育てしていても、満たされず、
いつも怒ってばかり。。
元旦那に対しても厳しい言葉をかけたり、「私がこうなのはあんたのせい」
など思っていて、ストレスや愚痴をぶつけたり
喧嘩が絶えず、私は子供に八つ当たりばかりしていました。
子供が夜寝た後には必ず「ごめんね」と謝り
「いいお母さん」じゃない事が自分を苦しめていましたが
その状況からは抜け出せれませんでした。
メンタルが落ちた元旦那との惨めな結婚生活そして終焉
日本での生活5年半をを過ぎて再びオーストラリアへと戻ってきた後
義母の死、元旦那の日本での借金発覚、浮気
遺産相続といろいろあり大変でした。
一度貯金が底をつくという経験もしました。
が、それでも再びオーストラリアでの生活に少し、夢をふくらませていました。
ですが、元旦那のメンタルのバランスがくずれ、すこし、鬱っぽくなってしまいました。
結果、元旦那は10年間無職でいることになります。
帰豪直後はそんなことはになるとは露とも思わず、、
私は帰豪後すぐにドレスメーカーとして、個人事業を始めました。
本来、趣味程度でしようと思っていた仕事が
自分が大黒柱になって家族を養わなければならないとは思っておらず、
人生思い通りにならないと感じて過ごしていました。
家族の重責を担う中
元旦那とはたびたび喧嘩が絶えず、
異国の地での個人事業は苦労し、いつも赤字でした。
ドレスメーカーになって7年目に、あるホテルのレストランで仕事をもらえることになり、
生活が一気に楽になったのを覚えています
そうして、働きながら、まだなお元旦那が就職できるのを待つという感じでしたが、
我慢の限界に達してきました。
年月が経ち、私は離婚の決意を固めていき、
ついに元旦那に離婚を切り出しました。
彼にとってはまさに青天の霹靂であり、かなり辛い時期だったようです。
しかし、私にとっては新たな人生の始まりであり、不安ながらも心は少し軽くなりました。
束の間の幸せ、しかし、どこかで終わりを感じていた恋愛
旦那と別れてから、半年が経った頃、
私はイギリス人の男性に恋をしました。
これまで経験したことのないような恋愛でした。
彼に出会った瞬間から、私は彼に夢中になりました。
彼は私にとって完璧な存在でした。
イギリス人の彼は、スキューバーダイビングが好きで、毎週何回も海に潜っていました。その話をする彼の様子は、とても楽しそうでした。
また、絵を描くのが上手で、ファイナンシャルプランナーという職業もでもありました。
そして、そんな男性とお付き合いできたことが
天国にも上る思いだったのを覚えています。
付き合い始めてから、私の頭の中は彼のことでいっぱいでした。
しかし、付き合い始めて3か月経った頃から、
彼からのメッセージが減ってきたことで、
不安を感じるようになりました。
私は彼に飽きられたのか、彼の気持ちが変わってしまったのか?と
考えてしまったり、
ウエイトレスとして働き、収入も少なく貯金も少ない私が、
彼と釣り合わないのではないかという不安が頭をよぎりました。
しかし、頑張って生きてきた私を思い出し、気持ちを切り替えました。
私は私だし、正直な気持ちを伝えることが大切だと思い、
彼に不満を伝えることもありました。がその時は彼は私を理解してくれた
と思っていました。彼の態度が少しずつ変わってきたことを感じながらも
交際は続き、
幸せな時間を楽しんでいました。
幸せを感じながら
私の中に徐々に大きくなる不安、どこかで、感じていた
「この恋愛は終わる」という矛盾
そして、それはついにやってきました。
自分の放った言葉が心を引き裂く瞬間
一年過ぎてから心の距離は徐々に遠くなっていっているなと感じてた頃
彼のイギリスにいる父親が亡くなりました。私自身母親を亡くしているので、
気持ちはよくわかっていたつもりだったのですが、
私は彼にとって、は聞きたくないことを思わず言ってしまった。。
わたしは誰かが亡くなる前に、なんとなくわかってしまうので、
彼の父親がお亡くなりになる半年前に彼にイギリスに早めに帰るようにと
言ったことがあるんです。でも、彼は大丈夫と思っていたようです。
彼の父親がな亡くなり悲しみに暮れる彼に、そして父親に会いに帰っていれば、、
と思っている彼に
「私、早く帰ったほうがいいよって言ったよね?」と、つい言ってしまいました
私自身、彼にもっと強く「早やめに帰れ」って言っていれば、まだ生きている父親
に会わすことができたかもしれないと、罪悪感からでた言葉でした。
私が言い放った言葉を聞いた彼の
直後の彼の顔は今でも覚えてます。
この瞬間、彼のなかで私との決別を決意したのかもしれません。
一瞬で私の心を崩壊した別れのメッセージ
空気がまだ冷たいオーストラリア南東部の
10月の夜、
先日の私が放った言葉のせいで、私は
不安、罪悪感、そして、言いようのない後悔に襲われていました。
そして、やはり、着てしまった
彼からの別れのメッセージが、私の心を崩壊しました。
そして私の世界を暗闇に変えました。
「ごめん、もう君といることはできない。頑張ってはみたけれどこの先につながるとは思わない。君は優しくて、僕の娘にも優しかった。よくしてくれたと思う。ごめん」
そのメッセージを受け、息子に「別れた」と告げた瞬間、
涙が溢れ出し、止まらなくなり、体の奥底から震えが来て、
まるで誰かに心臓を掴まれているような苦しみ。
部屋の中でひとり、暗闇がすべてを覆い尽くしました。
食事がのどを通らなくなり、体重も激減。
1時間おきに起きる睡眠パターン。
哀しみと罪悪感に押しつぶされそうで
夜中に一人、叫び起き胸が締め付けられ、
睡眠剤を飲んでも寝れない。
『もうこの世から消えてしまいたい』
という思いも沸き上がりました。
仕事にも行ってましたが、
身体が震えて出てうごけなくなったりして職場にもご迷惑を掛けました。
『失恋しただけでそこまでなる?』
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、わたしにとっては、それだけの大きな存在の男性だったのです。その男性を失ったという失意がここまで、私をすごく苦しめました。
自分の身体なのに、
コントロールが効かず、悲しみのエネルギーに包まれてしまいました。
心の崩壊からの気づき、自己愛、自己受容までの道のり
こんな、失恋を経験してしまったのは、
わたしが幼少期から持ち続けていた
【劣等感】
【自己肯定感の低さ】
【自己卑下】
幼少期に創り上げたネガティブな感情たち
自分自身が引き起こした不幸だったのです
私は恋愛により自分自身を見失いかけました。
その深い痛みの中で、私は自分自身と向き合うことが必要となり
失ったものを悼みながらも、私は新たな自己の発見の旅に出ました。
その旅は決して簡単ではありませんでした。
ネガティブな思考を克服するために、
カウンセリングや自己啓発の勉強を通じて、
過去の経験や心の奥深くにある感情に向き合いました。
辛い経験と向き合うのは決して簡単ではありませんでしたが、
それを受け入れ、癒していくプロセスは重要でした。
自分を受け入れることで、内なる平和を見つけることができ、
その結果としてネガティブな思考も減少していきました。
そして、毎日の小さな努力が大きな違いを生みました。
ポジティブな考え方を育むために、
意識的にポジティブな言葉や行動を取り入れるようにしました。
これに加えてしたイメージワーク
このイメージワークは大変効果のあるものでした。
結果として、自分の悪い思考癖を変え、
より前向きに生きることができるようになりました。
そして、恋愛や、夫婦関係、パートナシップで悩む女性
の助けになればと思い勉強を始め、カウンセラーになる決意をしました
あなたが望む現実、パートナシップを作り出すためには
『自分の苦しみを誰かに話す』ことがとても重要です
一人で抱え込んでしまっては
なかなか前に進むことはできません。
私自身、カウンセリングを受けて、心が軽くなり、
苦しみに目を向けるのではなく、【解決】に目を向けれるようになりました。
私に相談してみてください
苦しい日々を克服するためには、一人で解決しようとするのではなく、
適切な支援を受けることが大切です。
カウンセリングを受けて,
夫婦関係、パートーナー 恋愛だけでなく、人生そのもの
がうまくいくようになるためには
自分自身を理解することがとても大事になります。
そうすれば、自然に相手に寄り添った
幸せなパートナシップがつくられます。。
私は、最終的には新たなパートナーシップを築き、
現在は心からの喜びを感じることができています。
私の旅はまだ終わりません。
今、私は他の人々が同じような困難を克服し、
幸せな関係を築く手助けをすることに情熱を注いでいます。
自分を理解し、受け入れ、愛することで、本来の自分との関係を築き、
幸せな人生を歩むための一助となることを願っています。